猫ばか日記☆ピノとレモ

我が家に来て10年になる最愛のキジトラ姉妹の日々

信頼

人は人を信頼し、裏切られると傷付く。それが度重なると相手への信頼をなくす。そしてそういう経験が度重なると人を信頼する力を失ってしまう。

親がどんなに叱っても子供は親を信頼する。その叱り方が常軌を逸してさえいなければ生涯親子として信頼しあう関係でいられるだろう。だが親があまりに理不尽であるといつか子供の方が信頼することを諦める。去られてから気付く親はまだましだ。大抵は我が身を省みず親不孝者と罵る。

私はあまり無防備に人を信じない。少し離れて傍観していると、信じるに足る人かどうかは見えてくる。利害関係がなければフェイドアウトするだけ、友達にはなれない。故に、本気で友達だと言える人は少ない。ちなみにフェイドアウトしてるのに空気を読めない方とはきちんと縁を切ることにしている。

しかしながら、猫は人とは違う。信じていればいつかその信頼を受け入れてくれるし(度合いの差こそあれ)、一度信じたらとことん信じてくれる(ヒトの乳児も同じかな)。うちのネコズだって、撫でている私がいきなり首を絞めたり、ごはんに毒を混ぜたりするなんてことは想像だにしないだろう。

外の猫も同じだ。彼らの信頼にどれだけ応えることができるのか、常に考えている。今、行けないでいるのが不安だ。信頼を裏切っているんじゃないか?と。でも、もし今無理をして悪化して家族にやめろと言われて行けなくなってしまったらあの子たちの現状をよくしたいという思いは潰える。それこそ大きな裏切りになるのではなかろうかとも思う。

始めた時から長丁場になるのはわかっていた。病がちだから無理しないようにやってきたけれど、自分が老いていくことが計算から抜けていた。元気に通えたのは最初の1年半くらい。内臓から始まり、膝、腰、今度は頭だ。早くなんとかしなくては。

地域猫には賛否あるが、ホテルの小屋は大勢集まるから、毎日の餌やりがいてトイレを完備させてもらえればいい形にできる。造船所前もどこかにトイレにできる砂場を設置できたらいいのに、と思う。頭に、身体がついて行かないのが残念だ。なんとかして猫の信頼に応えたい。