猫ばか日記☆ピノとレモ

我が家に来て10年になる最愛のキジトラ姉妹の日々

お盆、そして終戦記念日

お墓参りをしてきました。腰痛あり渋滞ありで何か所も回れないので夫の本家のお墓のみですが、暑くてもお参りにくる人は多くて、ああ、日本人の心の中にはお盆がまだ生きてるんだなぁと。本家のお墓には、戦病死した伯父も眠っています。
亡き父はフィリピンから帰国する最後に近い頃の船に乗って帰国したそうです。船で移動中に爆撃にあって船底にとばされ、運よく岩塩の山の上に落ちて腰椎圧迫骨折のみで済んだけれど、船底の鉄板に落ちた人は皆、亡くなったそうです。負傷兵は置いていけと言われる中を、戦友が背負って島を縦断して歩いてくれたそうで、その人のことをよく話してくれました。私もその人の名前は忘れることができません。
母は川崎に住んでいて、祖母の実家のある福島に疎開していたそうですが、戦後戻ったときは一面が焼野原で自分の家がどこにあったのかもわからず、さっさと家を建ててしまった人がそのまま住んでしまう、という状況だったそうです。
父と母は戦後の慌ただしい時期に出会って結婚したのですが、その頃のことをあまり話そうとしませんでした。最初に生まれた娘を交通事故で亡くしているので、昔のことを話したがらなかったのでしょう。私は母とは折り合いが悪くて実家から逃げるために結婚したようなものですから、当時は聞こうという気持ちも起こりませんでした。聞いておけばよかったな、と思った時には父は既に胃がんで亡くなり母は重度の認知症、もう聴く術はありません。
母の従兄は4人のうち3人が戦死したそうです。中の一人は海軍で潜水艦勤務になり、当時潜水艦は極秘中の極秘行動だったために、いつ戦地に向かい、いつどこで亡くなったのかもわからず、お墓には遺品のひとつもないと聞いています。末弟が残って農家を続けていましたが、その人も亡くなりました。
戦争を知っている世代にもっと積極的に話を聞くようにしなくてはいけない、そう思うころには数少なくなっているということは多いと思います。聞いて、書いて、残していかなくてはなりませんね。