猫ばか日記☆ピノとレモ

我が家に来て10年になる最愛のキジトラ姉妹の日々

タンゴだったのかなあ

1/31に日暮里に泊まり、翌日朝から何度も何度も猫の鳴く声の空耳が聞こえて、てっきりピノだと思って夫に家まで見に行ってもらったりしたけど何もなくて、2/3に島に行ったら大怪我をしたタンゴがいた。あの声はタンゴだったのかなあ、と思った。
3/13にも日暮里に泊まったのだが、翌朝耳元でまた猫の声が聞こえて跳び起きた。その時タンゴはリリース前提で病院にいたのだけれど踏ん切れずにいて、私にはその声が「早く島に帰してよ!」っていう訴えの気がしたんだ。どうせアタシ長生きしないから、迷ってないで早く懐かしい場所に帰して!って。

リリースしたタンゴは「あおーん、あおーん」と鳴いた。以前、ボランティアさんが自宅に連れ帰った死にそうな猫が「あおーん、あおーん」と鳴いてばかりいて、連れ帰ったのは間違いだったのかもしれない、あそこにいたかったのかもしれない、と悩んでいたのだけれど、タンゴが驚くように大きな声で「あおーん」と鳴き、私が返事をすると鳴きやんで寄ってくるのを見て、この鳴き方はきっと友達を呼ぶ声なんだ、って思った。事実、仲良しさんが出てきたらもう「あおーん」とは鳴かなかった。


私の母はリウマチを病んで40年近く、認知症になってから10年以上たつ。施設に入っているのでちょっとした体調の変化で救急車で病院に運ばれては施設に戻るというのを何年も繰り返している。もし自宅にいたら、とっくの昔に「気がついたら息がなかった」という静かな最期を迎えていたろうに。果たしてこれは、脳がスカスカになってしまう前の母が望む姿だったのだろうか。母は、静かに眠るように誰にも迷惑をかけずに逝きたかったんじゃないだろうか。母を見るたびそう思う。認知症で何もわからないまま運ばれ薬をうたれ、酸素を送り込まれてやっと息をしている、そしてほとんど眠っている。

今回、タンゴのおかげで私は色々学ばせてもらった。よかれと思って家に置いたけれど、ホントは早く帰りたかったのかもしれない。私がタンゴを失いたくないという思いにとらわれて真実が見えていなかったのかもしれない。タンゴの家と島での表情の違いを見てはっきりわかった。翻って自分の行く先を考え、きちんと意志を書き残しておくことを決めた。タンゴ、我が人生の師となる。