猫ばか日記☆ピノとレモ

我が家に来て10年になる最愛のキジトラ姉妹の日々

母の不幸

母は40代からリウマチを患っていた。リウマチと、強い薬の副作用で発症する様々な病気であちこち悪くて入退院を繰り返していた。でも自分が年をとってわかったのは、よほど丈夫な人でなければリウマチなんていう病気でなくとも加齢で身体のあちこちに不具合が出るということ。朝は関節が思うように動かないし、あちこち痛いし、睡眠は浅くなるし、疲労の回復が遅い。
母は色々な意味で幸薄い人だったが、彼女の一番の不幸は「自分だけが不幸だ」と思っていたことだ。苦労なく育った人を嫉み、裕福な人を妬み、若さを羨み、自分の不遇を呪って生きた、それこそが母の不幸だったと思う。あるがままの自分を受け入れることが出来ないから認知症も若くて発症したのではないか?とさえ思う。
よく冗談で「こんな出来のいい娘がいて何の不満があるの」と言ったが、その都度本気で憤っていた。そうそう、冗談の通じない人でもあった。重箱の隅をつつくように相手の非をあげつらい、言葉尻をとらえて我が物顔にあげ足を取って嘲笑う、他意なく言った言葉の裏を捜して思い込みで烈火のごとく怒る、とにかく取り扱いの難しい人。今思えば、それは自分に自信がないことの裏返しだったんだと思う。認知になってからの方が精神的には楽だったんじゃないかな。母の周りには、いい友達がいなかったのだろう。いやそれも、いい人たちはたくさんいたのに母が心を開かずに欠点を見つけては陰口を叩いていた、母の残念な性格のせいなのだが。
色々と経験して対等に話せる年齢になった頃には母が介護の対象になっていて、病人に強いことも言えず私はただの「面倒見のいい親孝行な娘」にしかなれなかった。 母の本当の不幸を救えるのは、もしかしたら私だけだったのかもしれないのに間に合わなかったのだ。いつも私は、一拍遅い。

今日のピノさん