猫ばか日記☆ピノとレモ

我が家に来て10年になる最愛のキジトラ姉妹の日々

運命と田園

遠くの劇場でやるなら、まず聴きに行かないであろう「運命」と「田園」をよこすか芸術劇場で聴いてきた。当初、バスで行くつもりだったが(停留所3つ)今週もデモ隊が出ていて大渋滞しているのが見えたので電車に変更。「運命」を聴いているといつも「挫折しても転ばされても立ち上がろう、死ぬその瞬間は顔を上げて前を向いていよう」と思う。私のこの人生が運命であるなら甘んじて受けよう。勝とうとしなくていい、ただ受け入れればいいのだ。


毎週のようにレフトサイドの人が原子力反対、基地をなくせ、というデモをやっている。やっているのは地元の人ではない。なぜならこの辺の商売人はアメリカさんがいなければ食うに困るからだ。なのに、暑い日も寒い日も横須賀警察のお巡りさんがかり出されて気の毒だなあと思う。デモ隊の人は自分の地元のお巡りさんを連れてきて守ってもらいなよ。今日はさらにそこにライトサイドの街宣車が来て大音響で怒鳴り出し、互いの怒号がとびかって猫が怯えるので窓を全部閉めた。大迷惑。
どんなに大きな声を出しても、人の心に響かなければ意味はない。心が拒否すれば耳もただの音として素通りさせるだけだ。猫が怯え、親子連れの子供が怖がって親にしがみついて泣く、路線バスは時刻通りに走ることもできない、そんな行為が人に受け入れられると思っているのだろうか?それともただ「やった」という自己満足のため?