猫ばか日記☆ピノとレモ

我が家に来て10年になる最愛のキジトラ姉妹の日々

えこひいきしているわけではない

ごはんをあげている猫はどの子も可愛いと思う。でも私の中では分岐があるのも事実。

まず一番大きな分岐点は「人に慣れているか否か」だ。捕獲箱などを使えない私にとっては大きな差になる。捕獲箱は基本的に夕方から翌朝までに設置し、設置したら放置はできない(放置して入った猫が暴れて怪我をしないように目を離すことはできない)。遠くに住んでいる私には無理。大けがをしたりした時に助けてあげることが可能か否かがそこで大きく違ってくる。
その中でも「触れるか否か〜〜信頼関係があるか否か」で大きく違う。誰に対しても尻尾をたててすりすりしてきて、触ってもまったく抵抗しない子はタイミングよく会えさえすれば医者に連れていける確率が非常に高い。誰か特定の人に慣れている子も、その人に頼めば確率が高い。慣れてはいるが抱っこはできない子の場合、捕獲の上手な人に協力を頼めばなんとかなる(愚鈍な私は雰囲気を察した猫に逃げられてしまうので他力本願^^;)。

「人間を嫌いじゃない」子に対して「人間が好きじゃない」子もいる。警戒心の強い子はよほどの大けがをして動けなくなっている場合でなければ私には助けてあげることはできない。えこひいきをしているわけじゃない。平気でいるわけじゃない。でも、できないことに時間を費やすよりもまず「できること」をできる限りするのがいちばん大事だと思っている。ごはんをあげている時に出てくる子はまだしも、夜だけに出てきて置き餌を食べている子もたくさんいると思うし。


人の力には限界がある。すべてに平等なんて、無理だ。


うちのネコズを見ていると、家猫は本当に恵まれていると思う。しかしそのピノレモも一度は捨てられた子。運は本当に紙一重だ。人の力ではどうにもならないことも世の中には厳然として存在する。私の姉は6歳のときに交通事故で死んだ。信号のない交差点で、3車線のうち2車線の車が止まってくれたので渡ったら3車線目を走ってきたトラックにはねられたのだ。何メートルもとばされてほぼ即死だったらしい。ほんの数秒早いか遅いかすれば失わずに済んだ命、でも死んだ者は生き返らない。それが「運」というものだと、物心ついた頃から身に染みている私には、絵空事は語れないのである。